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なぜABBAは世界中で愛される?国内唯一のABBA研究家に秘密を訊く!!

スウェーデン発のポップグループ、ABBAの楽曲を全面フィーチャーした映画『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』が、8月24日から全国ロードショーされている。本作は、2008年に公開され大ヒットした映画『マンマ・ミーア!』(日本では2009年1月に公開)の続編。作品タイトルにもなった “Mamma Mia”をはじめ、誰もが知る“Dancing Queen”など、物語を彩るABBAの楽曲がとにかく魅力的な映画だ。

マドンナやレディー・ガガらに多くの影響を与え、あのジョン・ライドン(ex.Sex Pistols、Public Image Ltd)もファンであることを公言、最近ではカナダの至宝Arcade FireがABBAへのオマージュを込めたアルバム(2017年発表の『Everything Now』)を制作するなど、「ポップミュージックの完成形」として今なお聴き継がれるABBAの楽曲たち。それにも関わらず、ABBAがどんなグループなのか、どのような活動をしてきたのかは日本であまり語られてこなかった。

そこで今回Fikaでは、長年彼らを追い続けてきた「ABBA研究家」の東山凛太朗に話を訊いた。スウェーデン発の男女4人組が、どのようにして世界的なグループへと成長を遂げたのか、その音楽的な魅力はどこに秘密があるのか。世界で愛されるABBAの魅力をたっぷりと紹介する。

(メイン画像:Anders Hanser © Premium Rockshot)

1980年代前半、マイケル・ジャクソンらが一世を風靡したこともあって、ABBAの存在はすっかり忘れ去られてしまったんです。

—東山さんは、どのようにABBAと出会ったのでしょうか。

東山:僕が小学生の頃(1970年代後半)は、日本では山口百恵や野口五郎、西城秀樹などが流行っていて、そこにピンク・レディーが登場し大ブームとなるような時代で、もちろん僕も、そういう音楽を夢中になって聴いていました。

当時、洋楽というものはほとんど耳にしたことがなかったんですけど、偶然耳にした“I Do, I Do, I Do, I Do, I Do”(1975年)に衝撃を受けてレコードを買ったのが最初の出会いです。でも、それから高校生になって本格的にABBAの音楽を聴こうと思ったときには、活動休止してしまったんですね。

『ABBA』(1975年)収録曲

東山凛太朗
東山凛太朗

東山:そのうえ、ABBAはスウェーデンのバンドということもあって、日本に情報がほとんど入ってこなくて。しかも、当時日本でABBAを取り扱っていたレーベル・ディスコメイトレコード社が1984年に倒産してしまったのです。

それと同じ時期にMTVブームが訪れ、マイケル・ジャクソンやマドンナ、Culture Clubらが一世を風靡したこともあって、ABBAの存在はすっかり忘れ去られてしまいます。雑誌やテレビでもまったく取り上げられなくなった。だったら「自分が広めるしかない」と謎の使命感が湧いてきて(笑)、レーベルの倒産によって誰も引き継ぐ人がいなくなった「ABBAファンクラブ」を僕が引き継ぐことにしたんです。当時まだ浪人生だったんですけどね。

—そこからABBA研究家の道がはじまったわけですね。

東山:ロンドンのウェスト・エンドや、ニューヨークのブロードウェイで『CHESS』(ABBAのメンバーであったベニー・アンダーソンとビヨルン・ウルヴァースが作曲したミュージカル。俳優が歌うコンサートバージョンが1984年に、ミュージカル版が1986年に初上演)も観ましたし、海外のファンと文通するなどしてABBAの情報を集めていました。僕は英語しかわからないので、主にイギリスからの情報が多かったですけど。

—ABBAの「再評価」が世界的に高まったのは、やはり1992年にベスト盤『ABBA GOLD』が出たことが大きかったのでしょうか。

東山:そうです。ABBA結成が1972年でしたから、20周年のアニバーサリーだったんですね。それと、同じ年にErasure(イギリスのエレクトロポップバンド)が、ABBAのカバーEP『Abba-Esque』を出して、これが大ヒットするんです。この2作で、全世界的に「ABBA再ブーム」が巻き起こりました。

Apple MusicはこちらABBA『ABBA GOLD』を聴く

Erasure『Abba-Esque』を聴く(Apple Musicはこちら

ABBAは1983年に「解散」したということになっていますが、実際は解散したんじゃなくて「活動休止」なんです。

—当時Lush(イギリスのシューゲイザーバンド)も“Hey, Hey, Helen”(1975年)のカバーをしていましたし、日本でもCMなどでABBAの曲をよく聴くようになったのを覚えています。

東山:次のブームは1999年、ABBAのデビュー25周年です。彼らの楽曲をフィーチャーしたミュージカル『マンマ・ミーア!』がロンドンのプリンス・エドワード・シアターを皮切りに上演され、瞬く間にヒットしました。日本でも劇団四季のミュージカルとして、2002年に初演されロングラン公演になりましたよね。

東山:同じ頃、野島伸司が脚本を手がけたテレビドラマ『ストロベリー・オンザ・ショートケーキ』(TBS系、2001年放映)で、ABBAの“Chiquitita”がオープニングに、“SOS”がエンディングに使われ話題になったんですけど、それでも一向に「ABBAとはどういうグループなのか?」ということは、若い人たちの間ではまったく知られてないんですよね。

『Voulez-Vous』(1979年)収録曲

『ABBA』収録曲

—『マンマ・ミーア!』で流れている曲は知っているけど、「ABBAって?」という人は多いかもしれないです。

東山:僕は1964年生まれなのですが、僕よりも少し上の世代はABBAの前身のBjörn & Bennyのデュオから知っています。日本で一番多いABBAファンの年齢層は僕たち「東京オリンピック世代」だそうです。前述した先輩方と僕たち世代近辺だけがリアルタイムでABBAを知っていて、現在40代の人たちは1990年代の最初の再評価でABBAを認知し、さらに下の世代は『マンマ・ミーア!』でABBAに触れるという。大まかにいうと4つの層があると思います。

ですが、どの層もABBAそのものについての情報は、ほとんど持っていない気がするんです。先輩方や僕らの世代は今のようにネットがない時代、レーベルとABBAファンクラブが出す情報のみでしかABBAを知る方法はありませんでした。僕たちから下の世代は再評価まで「ABBAなんてダサい」みたいな風潮があり、「未だに過去の産物にとりついているなんて、おかしいんじゃないの?」とさげすまされていました。下の世代はネットで楽曲は聴けても、肝心のABBAについての記事が日本ではほとんどありませんから、ABBAのすごさを理解できなかったのでしょうね。しかも日本で出ていたABBA情報は間違いだらけでしたし……。

東山凛太朗

東山:それで僕は、今まで独自に取材して集めたABBAついての情報を、3冊の本にまとめたんです。彼らのバイオグラフィーを追った『やっぱりABBA!』と、彼らの全曲解説を試みた『ABBA ザ・ディスコグラフィ』、そして彼らのミュージカルや映画に焦点をあてた『ABBA、CHESS、劇団四季「マンマ・ミーア!」』です。

『やっぱりABBA!』書影
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『ABBA ザ・ディスコグラフィ』書影
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『ABBA、CHESS、劇団四季「マンマ・ミーア!」』書影
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—東山さんが、この3冊の本で最も伝えたかったことは?

東山:ABBAというと、やはり派手な衣装と代表曲“Dancing Queen”(1976年)の強烈なインパクトから、「ディスコバンド」というイメージが強いですよね。実際、そう紹介されることも多いと思うのですが、真実は全然違うんです。彼らが本格的にディスコを導入したのは『Voulez-Vous』というアルバムだけで、それ以外のジャンルも積極的に取り入れているんですよ。

『Arrival』(1976年)収録曲

ABBA『Voulez-Vous』を聴く(Apple Musicはこちら東山:あともう1つ。ABBAは1983年に「解散」したということになっていますが、実際は解散したんじゃなくて「活動休止」なんです。この違いはとても大きくて、僕はことあるごとにそのことを主張してきたのですが、何十年も誰も耳を貸してくれなかった。それが今年4月27日に、4人が約35年ぶりにスタジオに集まり、新曲を2曲レコーディングしたと聞いて、「やっぱり僕は間違ってなかったんだ」と確信しました(笑)。世間から僕の主張が認められるまで35年かかりましたよ。

アグネタは、日本でいう安室奈美恵さん的存在で、10代の頃からスウェーデンの歌姫として活躍していました。

—ここからは、ABBAのバイオグラフィーに迫りたいのですが、もともと彼らはどのようにして誕生したのでしょうか。

東山:ABBAは、アグネタ・フォルツコグ(Vo)、ビヨルン・ウルヴァース(Gt)、ベニー・アンダーソン(Pf)、フリーダことアンニ=フリッド・リングスタッド(Vo)によって、1970年代はじめにストックホルムで結成されたグループです。

アグネタは、ABBA結成前は、日本でいう安室奈美恵さん的存在で、10代の頃からスウェーデンの歌姫として活躍していました。フリーダも早くから音楽業界にいて、1960年代はじめにThe Anni-Frid Fourというジャズ系のバンドを組んでいました。ベニーもHep Stars(「スウェーデンのThe Beatles」と称された)というバンドの作曲者 / キーボディストとして活躍していたし、ビヨルンはHootenanny Singersというフォークグループを組みながら、音楽家として腕を上げていました。

—メンバー全員、ABBA以前からすでにキャリアを築いていたと。

東山:そうです。ベニーとビヨルンはライブハウスでよく顔を合わせていたのですが、あるときライブ後にスタジオでセッションしたら意気投合して「2人で一緒にやってみる?」っていう話になって。それでBjörn & Benny名義で活動をはじめるのですが、彼らが作った“She’s My Kind of Girl(木枯らしの少女)”という曲をソニーのディレクターが気に入って、版権を買って日本で1972年にリリースし、50万枚のヒットを出しているんです。日本だけでのヒットでした。本国では2桁売れたかどうかだったようですが……。

Björn & Benny “She’s My Kind of Girl”を聴く(Apple Musicはこちら

—へえ! ABBAよりも先に日本でヒット曲を出していたんですね。

東山:しかも、来日したこともあるんです。当時すでにビヨルンはアグネタと、ベニーはフリーダと付き合っていて、彼女たちがバックコーラスという、今とは逆の編成でライブをやっていたのです。結局、ソニーとは縁が切れてしまったんですが、その2年後の1974年にABBA名義で“Waterloo”(邦題は“恋のウォータールー”)をリリースして、『ユーロビジョン・ソング・コンテスト』で優勝し一気にヨーロッパで知名度を上げていくわけです。

『Waterloo』(1974年)収録曲

ABBAの4人はまったく違う分野にいたわけですが、共通して好きなのはThe Beatlesですね。

—その後、順調に活動を続けていくのですか?

東山:いや、次の“Honey, Honey”(1974年)はそこそこ売れましたが、しばらくは鳴かず飛ばずの状況が続いていました。そんななか、彼らが世界中のテレビ局に送ったプロモーションビデオをたまたまオーストラリアのテレビ局が放映したところ、一夜のうちにABBA人気に火がついて翌日にはレコードが完売したそうなんです。それでいきなり再注文が入ったヨーロッパでは大騒ぎ。当時は「世界で一番熱心なABBAファンはオーストラリア」と言われていたんですよね(通称ABBAマニア)。

その人気に驚いた本国が、オーストラリアに追従する形で少しずつ人気が出てきて、 “I Do, I Do, I Do, I Do, I Do”あたりからまた注目を集めるようになっていくんです。そのおかげで「ユーロビジョンの一発屋」という汚名も返上することになります。

ABBA『ABBA』を聴く(Apple Musicはこちら

—ちなみにABBAという名前は、4人の頭文字を並べたのだとか。

東山:彼らの最初のアルバム『Ring Ring』(1973年)は、ビヨルン・ベニー&アグネタ・アンニ=フリードという長ったらしい名義でのリリースでした(笑)。おっしゃるように、頭文字を並べて「ABBA」になったので、僕は決して「アバ」とは表記しないんです。それだと意味がなくなってしまうので。

東山凛太朗

—彼らの音楽的なバックグラウンドは、どういうものだったのでしょうか。

東山:先ほど話したように、アグネタは歌謡界、フリーダはジャズ、ベニーはロック、ビヨルンはフォークという具合に、まったく違う分野にいたわけですが、共通して好きなのはThe Beatlesですね。活動中に仲がよかったのは、オリビア・ニュートン=ジョンやCarpenters。オリビアとフリーダは親友同士で、今も親交が深いようです。

—早い段階から英語で歌っていたことからも、本国だけの活動ではなく世界に目を向けていたのがわかりますね。

東山:1970年代当時、スウェーデンにはラジオ局が2つしかなくて、流れてくる音楽もスウェーデン語で歌われた時代遅れなものばかりだったんです。そこで、ビヨルンは特にイギリスを意識していたようです。The Beatlesに影響を受けた自分たちの音楽をわかってくれるのは、きっとイギリス人だと。「イギリスで成功するためには英語で歌うしかない、それで勝負しよう」というような話し合いがなされたんじゃないでしょうか。

ABBAは1976年発表の『Arrival』で初めて全英1位を獲得し、以降すべてのオリジナル作品で全英1位を獲得し続ける。『Arrival』を聴く(Apple Musicはこちら ABBA『The Album』(1977年)を聴く(Apple Musicはこちら

ABBAの歌詞は、人生の様々な局面を網羅しているんです。

—のちにマドンナやレディー・ガガなど多くのアーティストに影響を与え、「ポップミュージックの完成者」と呼ばれたABBAですが、なぜABBAはこのような評価を勝ち取ることができたんでしょうね?

東山:それは彼らが、2人の女性のハーモニーを中心にしたコーラスグループというフォーマットに、ジャズやレゲエ、ディスコそしてテクノポップと、様々な要素を取り入れてきたからだと思います。

—1960年代にはThe BeatlesやThe Beach Boys、バート・バカラックらが行ってきたことを、1970年代に入ってWingsやBee Geesらとともにさらに押し進め、「ポップスのアップデート」に貢献してきたのがABBAというわけですね。

東山:そう思います。マドンナやレディー・ガガといったアーティストがABBAに影響を受けたのは、単に彼女たちの好みの問題だけでなく、やはりABBAがポップス史のなかで重要な存在だと認識していたからではないかと。

ABBAの“Gimme! Gimme! Gimme!”(1979年)を大胆にサンプリングした2005年発表の楽曲。ポップミュージック界史上、もっとも多くの国でチャート1位を獲得した楽曲でもある

—ただ、1990年代に入って再評価されるまでは、本国で冷遇されていた時期もあったとか。

東山:ご存知のようにスウェーデンは「福祉国家」と言われ、どちらかというと社会主義的な傾向が昔から強かったんですよね。そのため、政治的なメッセージを含んだ音楽が好まれる傾向にあった。そんななか派手な衣装を着て明るいポップミュージックを歌うABBAの姿が、「商業主義の権化」に映る人たちが結構多かったようです。まあ、軽く見られていたわけですよね。自分たちの国に「すごい人たちがいる」ことに気がつかなかったんです。

—それが、1990年代の再ブームのときは純粋に楽曲のよさが評価されるようになり、本国でもようやく認められた。今や重要な観光資源になっていますよね。先日スウェーデンを訪れたときに、ABBA博物館にも行ってきたのですが、平日にも関わらず盛況でした。『マンマ・ミーア!』の大ヒットは、彼らの歌詞が見直されるキッカケにもなったのではないでしょうか。

東山:『マンマ・ミーア!』で使われている楽曲は、ストーリーに寄せるために一部書き直されていますが、ABBAの歌詞は、人生の様々な局面を網羅しているんですよね。それこそ恋の喜びにはじまり、人生の酸いも甘いも全て。彼らが愛される理由はそこにある気がします。

—東山さんがABBAに魅せられ続けている理由もそこにある?

東山:そうですね。僕の人生の楽しかったとき、苦しかったとき、辛かったとき、悔しかったとき、ABBAはいつもそばにいてくれました。

人間の人生は「春夏秋冬」と言われますが、ABBAの音楽には人間の人生の全てが網羅されています。たとえば活動初期の頃、ビヨルンはアグネタと、ベニーはフリーダと付き合っていて、その後結婚し離婚も経験します。“The Winner Takes It All”(1980年)という曲では、そのときのビヨルンの心境が赤裸々に描かれているんです。

『Super Trouper』(1980年)収録曲

—それを歌うアグネタも、相当肝っ玉がすわってますよね……。

東山:なかなかこの曲の詩を書くことができなかったビヨルンは、普段飲まないウィスキーを1本空けて、酔っ払いながらようやく仕上げたそうです。後日、この曲を見事に歌いきったアグネタの姿を見て、ビヨルンは涙を流しました。

実はABBAにも政治的な歌詞があって。“The Visitors”(1981年)という曲は、当時ソ連が反体制派に行っていた弾圧に対する抗議がテーマなんです。それでこの曲は、ソ連で発禁になりました。ABBAの活休後に、ベニーとビヨルンが曲を手がけたミュージカル『CHESS』も冷戦(アメリカ中心の西側と、ソ連中心の東側の確執)をテーマにしていますし。

“The Visitors”収録したABBA『The Visitors』を聴く(Apple Musicはこちら

ABBAのコスチュームは、ピンク・レディーもオマージュしています。

—あと、すごく興味深いのはABBAって昔からゲイの人たちに人気があるじゃないですか。“Dancing Queen”(1976年)はカイリー・ミノーグもカバーするゲイアンセムですし、オーストラリアのゲイクラブでは、“Mamma Mia”が大合唱になると聞きました。映画『マンマ・ミーア!』の監督フィリダ・ロイドはレズビアンで、映画自体もゲイやレズビアンに人気があるそうなのですが、ABBAとLGBTの親和性はどこからきているのでしょう。

東山:そもそも、オーストラリアのABBAマニアもその中心はゲイなんですよ。おそらくABBAの派手な衣装や、美しいコーラスワークがツボだったんじゃないでしょうか。どちらかというと、むしろABBAの人気は、オーストラリアのゲイコミュニティーからお茶の間へ広がっていったという言い方もできると思います。

スウェーデンのABBA博物館より / 撮影:黒田隆憲
スウェーデンのABBA博物館より / 撮影:黒田隆憲
スウェーデンのABBA博物館より / 撮影:黒田隆憲
スウェーデンのABBA博物館より / 撮影:黒田隆憲

—彼らの派手な衣装ですが、時代的にグラムロックの影響も大きいのでしょうか?  “Waterloo”のブギーのリズムなどT.Rexあたりを彷彿とさせます。

東山:おっしゃるとおり、“Waterloo”と“Ring Ring”はグラムロックと言われています。

『Ring Ring』収録曲東山:ABBAのコスチュームデザイナーは、ウーヴェ・サンドストロームという人が手がけていたのですが、“Money, Money, Money”(1976年)のときの、アグネタが白、フリーダが黒のドレスで、頭に羽の飾りをつけたコスチュームは、ピンク・レディーの“ウォンテッド (指名手配)”(1977年)がオマージュしています。それは後に(ピンク・レディーの)ミーちゃんが認めてますね(笑)。まさに「真似、真似、真似」ですかね(笑)。

これだけ楽曲が愛されているのに、グループの実態が未だに知られていないのは本当にもったいないこと。

—さて、長らく活動休止していたABBAですが、今年4月27日に35年ぶりの新曲制作を発表しました。タイトルだけすでに発表されていて(“I Still Have Faith in You”と“Don’t Shut me down”)、12月に放送されるアメリカNBCとイギリスBBCの共同制作によるテレビ番組内で披露される予定です。ただし、実際のメンバーは登場せず、パフォーマンスをするのは「アバター」つまり「デジタルABBA(ABBAター)」というのが驚きです(笑)。

東山:おそらく、今の容姿で表舞台に出て、ファンのイメージを壊したくないと思ったんでしょうね。アグネタとフリーダは今でもボイストレーニングを怠らず続けており、声量はABBA時代と全く変わらないですけどね。

あとは、最新のテクノロジーに大きな関心があったというのも理由の1つかと思います。ABBAは昔から、テクノやレゲエ、ディスコなどそのときに流行しているものをいち早く取り入れていたグループでしたからね。ただ、どこかのタイミングで本人たちも登場するような気もしています。

東山凛太朗

—ABBAとして最後に来日したのが1980年ですよね。このタイミングの来日は期待できそうですか?

東山:実は、バブル時代に日本の商社がABBAを買収しようとして、それ以来、日本とABBAの関係は悪化してしまったんじゃないかと言われています。それはABBAのマネージャー、ゴーレル・ハンザーも気にしていました。実際に、それが原因なのか、2002年12月1日の劇団四季『マンマ・ミーア!』初日のゲスト出演はドタキャンされてしまいます。

これまで『マンマ・ミーア!』が上演された国の公演初日には、必ずメンバーがゲスト出演していたというのに……。日本のABBAファンのショック、落胆度は長年、本当に大きかったですね。そこで、私たちファンクラブはゴーレルに根気よくアポを取っていたら、先日ついに会えることになって。

—え、すごい!

東山:6月18日にストックホルムでお会いして、日本のファンはABBAの来日を心から願っていますと伝えてきました。そのときに、ベニーから日本のファンへのメッセージ動画をもらっています。

東山凛太朗
ベニーからのメッセージを見る(サイトを見る

東山:話題はワールドカップについてですが(笑)、それはベニー特有の「照れ」と「日本のファンだけのメッセージなんてズルイ」と世界のファンから羨ましがられるのを察知したからだと思います。

ベニーは後日、映画『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』のロンドンプレミアで、舞妓をプリントしたシャツを来て現れました。「日本のファンに向けてメッセージ第2弾」ですね! この行為に日本のABBAファンは涙しました。どこまでもベニーはやさしいのですよね。

—今度こそ来日するといいですよね。

東山:これだけ楽曲が愛されているのに、グループの実態が日本では未だに知られていないのは本当にもったいないことですからね。今回の映画公開、また「ABBA以来最高のABBA」と言われている、ABBAのトリビュートバンド「The Show」の日本公演が9月10日からはじまります。これを機により一層多くの人たちにABBAの魅力が伝わればいいなと思っています。

▼掲載サイト

https://fika.cinra.net/article/201808-abba


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