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『CHESS IN CONCERT』セカンドヴァージョン㉛『CHESS』未来へ!<第2回>

デモ録音でも本番のアルバム録音でも録音技師を務めたマイケル・トレトウ(ABBA音楽のエンジニア)は、作曲の過程が巨大なジグソー・パズルのコマを順に組み合わせていく作業に似ていたと振り返る。「ベニーが繰り出す音楽の流れが基本だった『CHESS』はいわば、作曲の2人が直感に導かれて生み出した作品なんだ。基本のアイディアを彼らが思いつく。すると、それが別のいいアイディアを呼び込み、そのアイディアがさらに新たなコマヘと2人を導いていく」。

いつものようにビヨルンがダミーの歌詞を書き、歌をテープに入れてティム・ライスに送る、するとティムが正式の歌詞を書く、という手順を採った。しかしティムが仕上げた歌詞には、ビヨルンのダミーのアイディアが多数採り入れられた。

「ビヨルンは、自分じゃナンセンスな言葉を並べたつもりの歌詞をよこした。ところがその中には、いつもすばらしいフレーズがあるんだ。僕はそれを借用して、頭を悩ます時間をずいぶん節約できた」とティムは語っている。中でも有名な例が、「ワン・ナイト・イン・バンコク」と題されたナンバーの“One night inBangkok makes a hard man humble (バンコクで一夜を過ごせば、こわい男もおとなしくなる)”という1節だ。「僕の才能を端的に物語るフレーズだと、多くの人がほめてくれた。しかし、あれはビヨルンが書いたんだよ!」。

作曲の途中、歌のテスト録音が大量に行われた。ビヨルンとベニー、ティムは曲を歌手に歌わせてみて、実際にはどんな感じに聞こえるかを確かめたのだ。たとえばアグネタ(ABBAのヴォーカル)は、「Every Good Man (善人はみな)」というデモ・ソングを録音した。完成版のスコアで「ヘヴン・ヘルプ・マイ・ハート」と改題された曲である。のちに正式のアルバム録音に出演するトミー・シェルベリとビヨルン・シフスの2人も、テスト録音に協力した。

1983年の1月末、ビヨルン、ベニー、ティム・ライスの3人はモスクワを訪れた。主な登場人物が何人かモスクワ出身の設定なので、町の雰囲気や文化的背景をつかむためだった。モスクワの町はその意味で、ミュージカル『CHESS』の中で重要な役割を担う。旅は楽しかったが、創作に関しては得るところが少なかった。

彼らはロシアのスター歌手アラ・プガチョワと出会い、一時、彼女をスベトラーナ役に考えたが、同役は結局バーバラ・ディクソンが演じることになった。

1983年11月1日、コンセプトアルバムの正式な録音が始まった。その時点では84年5月中に録音を完了し、晩夏に発売する予定だった。

アンデシュ・エリアスは、適切なアレンジを考える素材として曲の入ったテープを渡された。『CHESS』の音楽スタイルが多彩な点は、彼のアレンジの助けになった「あの作品はいわば、ありとあらゆるスタイルをぶち込んだ音楽のごった煮なんだ。いろんなタイプの音楽を利用して、そのタイプにふさわしいアレンジを試すことができた」。

1983年11月の末、ロシア人・アナトリーの役をスウェーデン屈指の名歌手トミー・シェルベリが歌うと発衣された。アメリカ人プレーヤーの付き人でアナトリーと恋に落ちるフローレンスの役は、ロンドンのウェスト・エンドでエビータ役を演じて大成功を収めたイギリスのミュージカルスター、エレイン・ペイジが演じることになった。

トミー・シェルベリは言うまでもなく、『CHESS』のテスト録音に早いうちから協力した歌手である。したがって、ベニーは彼の歌が気に入ったのだろうと推測できる。事実、「僕とビヨルンに言わせれば、トミー以上にこの役にふさわしい歌手はいない」と彼は述べている。エレイン・ベイジの才能についても、ベニーは賛辞を惜しまなかった計僕は何年も前から彼女のファンなんだ。この役に彼女以外の歌手は考えられなかった」。

トミー・シェルベリとビヨルン、ベニーとの間には、興味深い過去の因縁がある。 1970年代、スウェーデンの音楽業界は2派に分かれていた。一方のいわゆる急進的左翼運動は、音楽も政治的に妥当なメッセージを歌うべきで、けばけばしい外見を装うなどとんでもないと主張した。ABBAは彼らの意志にかかわらず他方の“純娯楽派”に分類され、歯に衣着せぬシェルベリはABBAとABBAが象徴するものへの嫌悪を公言してはばからなかった。

「そのことで70年代にベニーと議論したことがある」。トミーは述懐する。「軽薄なポップスが“本物の音楽”を圧迫していると僕は主張した。ベニーはクールに答えたよ。“君は自分に合わない歌を歌っている。君の声をどう生かすべきか、いつか教えてやるよ”」。トミー・シェルペリの『CHESS』における見せ場は、堂々たる「アンテム」である。このナンバーは現在では、ミュージカルの中の1曲というより、むしろトミーの持ち歌として記憶されている。

トミーとペイジの出演が決まってほどなく、ほかの主たった配役も決まった。アメリカ人のチェス・プレーヤーは、『ジーザス・クライスト・スーパースター』のオリジナル・キャスト・アルバムに出演したマリー・ヘッドが演じることになった。そのころミュージカル『ブラッド・ブラザーズ』に主演していたバーバラ・ディクソンは、アナトリーの妻スベトラーナ役を射止めた。

ABBAのエンジニア、マイケル・トレトウが指摘するとおり、これらの歌手は人柄も気質も歌唱スタイルもさまざまで、アルバム録音にそれぞれが個性的な貢献をした。マイケルが特に気に入ったのは、マリー・ヘッドである。「彼はすごかった。完璧に常軌を逸していて、神経むきだしって感じだったね。あのすさまじい声の表現を聞くと、鳥肌が立った」。

金に糸目をつけずに優秀ミュージシャンを集めるという既定方針どおり、ロンドン交響楽団とアンプロージャン・シンガーズが契約され、1984年4月の第1週にロンドンのCTSスタジオで録音する手はずになった。レコーディングに備えて3月末の週末、ストリングスのアレンジのテスト演奏がストックホルム王立音楽大学の学生によって同市のコンサートホール、ベルヴァルド・ホールで行われた。

「ビヨルンとベニーは譜面が読めないので、アレンジが書かれた段階では、実際にはどんなふうに聞こえるかわからないんだ」。アンデシュ・エリアスが言う。「『CHESS』の録音中ベニーは曲を耳で聴いて、今日は最高だ、って何度も言ってたよ。“そうか、こんなふうに鳴り響くのか。すごいじゃないか!”とね」。

本番レコーディングのためにロンドン入りした『CHESS』のチームは、スウェーデンの一流スタジオ・ミュージシャンの選り抜きメンバーを連れていた。ドラムのベール・リンドファル、ギターのラッセ・ヴェランデル、ベースのリュートゲル・グナーションら、アルバムジャケットに名前の明記のある面々である。イギリスの録音技師たちは、彼らの同行に少なからず驚いた。

「言われたよ、何でわざわざスウェーデンからミュージシャンを連れて来たんだって。向こうにしたら、弁当を持って宴会に来たように見えたんだろうね」。マイケル・トレトウが言う。「しかし、彼らがあの複雑なクロスリズムの『ワン・ナイト・イン・バンコク』を演奏しだすと、イギリスのエンジニアは日を丸くした。もちろん、彼らはスウェーデン最高のミュージシャンだよ。だけど、スウェーデンじゃこれぐらいの腕は普通だとはのめかしてやった。イギリス人が口をあんぐり開けるのは、気分のいい見ものだったね」。

録音作業の進捗状況に合わせて、アルバムの発売日が10月に延ばされた。それでもビヨルン、ベニー、マイケル・トレトウは期限に間に合わせるため、不眠不休で働かなければならなかった。

きつい仕事ではあったが、関係者たちは疑いなく、この経験を心から楽しんだ。アルバムの発売後、ベニーが述べている「これはどの満足を味わった仕事は、かつてなかった。ABBAの仕事も大体は楽しかった。しかし『CHESS』は趣旨も実質も、はるかに大きい」。

続く


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